果報は寝て待てと申しますが、寝てばかりいるのもいかがなものかと思い始めていました。
今日ではや2週間ブラブラしている親父ですが、さすがにそろそろ気になってきました。
4日の日にとある会社の面接を受けたのですが、その人事担当者さんかから近いうちに二次面接の日程を連絡しますからといわれ、とりあえず一安心していたのです。
ところが1週間経った先週金曜日も連絡なしということで、そろそろジリジリと内心焦りを感じていました。
当然のことながらはじめのうちは何とかなるだろうモードだったカミサンも、週末には本当に大丈夫なの?と真顔で聞いてくる。
こちらは『から元気』で もちろんという顔はしていても、内心はビクビク。今日連絡が来なければ、ひとまずこちらから連絡してみようとと思いながら、さすがに今日はジムにも行かず悶々としていました。
そんなこんなで午前中を過ごしていましたが、待っていた連絡が来ました キマシタ。
二次面接は事業部長と人事部長の2人の役員さんとの面接ということでスケジュール調整に時間がかかったようでした。
ということで面接日程が決まったのですが、これがまた随分先で来週中旬。ということはもうほとんど月末です。 今のところ一本勝負ということでほかのところは考えていませんので、二次面接でそれこそ 下手こいて しまったら、我が家は本当に 解散 しなくては・・・。
待っているのも楽じゃない。
せめてもの気休めに ブログ更新に励みましょう。
2004年12月の出来事
前回(2004年11月の出来事(入社2ヶ月目)では、慣れない会社での予算作りについて、これまたダラダラと記載したが、今回はいよいよ、この会社での各地域のマネージャーが集まっての施政方針説明会の巻きです。
そもそもこの会社は世界20数ヶ国に展開していることは知っていましたが、西洋人といいますか、アメリカやヨーロッパの人が同じ会社の社員だなんてことは、想像したことがありませんでした。
11月末にこの月3回目の渡航を果たし本社に乗り込んでまずビックリ。
普段見たことのない人種が、ぞろぞろと本社の中を歩いているんです。
それが12月はじめに開催される、各国のオフィスを任されたジェネラル・マネージャー達だったんです。
会議は3日間の予定。
初日と翌日の午前中は本社の会議室で、次年度の本社の製品開発計画、マーケティング計画の説明がです。もちろん全部英語。この時点で一体何を云っているのか分からんという状態。それに輪をかけて分からないのが、イタリアなまりの英語、シンガポールなまりの英語でした。
それぞれの説明のあとに各国のマネージャーが活発な質問を行うのですが、そもそも説明の内容が分かっていないのに、更に聞きなれないなまり入り英語を聞かされ、この時点でもう完全に落ちこぼれです。
それでも眠らないようにと必死に自分を奮い立たせて会議の内容に耳を傾けるフリをしていました。
2日目の午後になると、今度はどこぞのリゾートホテルにみんなで移動。
そこでまたいくつかの議題の発表があり、食事+懇親会となったのです。
それまで、ほとんど発言することも無く、目立った存在ではなかったのですが、やっぱり日本の存在をしっかりとアピールするのが私の役目。ということで、宴会タイムに入ったところで、カラオケを所望したのです。
一応こう見えても(といって何も見えていないと思いますが)私は、この国に10年間出張を続けた男ですので、それなりにこの国の会食の盛り上げ方については、心得ているつもり。
ということで、3曲ある現地語のレパートリーの中から、最も得意な1曲をリクエスト。世界オフィスの会議とはいえ、参加者の半数以上が漢字の国の人ですから、ここはひとつ現地語でという受け狙い。
これがまた受けたんです。
前奏が始まっても、もちろん誰も見向きもしません。そこにすかさず登場し、漢字の言葉で自己紹介とイントロの前説を行い、いきなり流暢な(自分で勝手に思っているだけですけれども)漢字歌詞を歌い始めると、なんと目の前30cmぐらいのところまで社長の顔が近づいてきて、目をまん丸にして、じっと私のことを見つめているんです。(別に恋愛感情が芽生えたわけではないと思いますが)
そして、サビの部分で、マイクを差し出すと社長自らが歌ったんです。
でも社長は宴会が苦手なので、もちろん歌も人前で歌ったことはないですから、後できた話では、そのこと自体が珍しいのに、社長よりもお前のほうが歌がうまかったぞ(これはたぶんにお世辞が入っていると思いますが)ということになった。
歌が終わると、アンコールの拍手が。
もちろん慌てません。なんといってもレパートリーは3曲ありますから。
ということで、無事2曲を歌い上げ、存在感をしっかりアピールしたのです。
おかげで、3日目の各国の次年度戦略は、大した内容ではない発表なのに、ちょっとしたジョークも受けて無事に日本代表の役目を終えたのです。
まさに『芸は身を助ける』でした。
こうして就任から3ヶ月で、それなりに社内での自分の居場所を得たのでした。
若いもん なかなかやるな
昨日テレビを見ていたら、ピアスしてても、茶髪でも、ズボンがぶら下がってパンツが見えてても、若いもん なかなかやるな。 今の日本も捨てたもんじゃないと勝手に感動してしまった。
ハモネプリーグという、ネプチューンが司会をする番組に2時間釘付けになった。
アカペラで歌い、そのうまさを競うのだが、街を歩いている姿を見たら、こいつら何かしたいことはないのか?と心配になってしまうような最近の若者たちが、実に一生懸命に、しかも仲間同士でハーモニーを作って歌い上げるのだ。
スポーツに汗を流す姿は、いつも見ているし、スポーツこそが青春だと勘違いしていた私は、だらしない格好をして、ダラダラとした青春は時間の無駄ではないかとさえ考えていた。
しかし昨日のテレビを見て、こいつらはすごい!!と感動し、自分が持つ価値観と違う格好をしていても、十分に頑張っているんだということを、思い知らされた。
番組は、全国大会を勝ち抜いた20程度のグループが3つのブロックに別れ、まずはブロック予選、そして決勝を行うのだが、ブロック予選で敗退したチームにさすが金八先生のコメントはこれまた、鮮やかに光っていた。
「君たちは、楽しむということをもっとやるべきだ。楽しむために何をしなければいけないか。それは観客を楽しませ、その雰囲気を楽しむんだ。君たちはまだ楽しみ方が足りない。」というような内容のコメントをしていた。
さすがプロである。
それにしても、全国予選を勝ち抜いてきた、出場チームはすごいの一言。
チューハイを飲みながら、小学生の息子相手に、こいつらはすごい。お前もこいつらのように一生懸命に何かに打ち込まなければダメだ!!
なんてクダを巻いていたのは、私です。
まぼろしの海外出張
パスポートの整理をしていたら、初めての海外出張のことを思い出したのでひとつ。
仕事で海外に出かけることになったのは、以前勤めていた商社が初めてでした。
商社に勤めて2ヶ月目の出来事です。
それまでも海外などはあまり経験のない私。パスポートは今の妻(といって昔の妻がいるわけではない)と結婚した時に出かけた新婚旅行のときに取っていた。(当時は5年もの)
そこに押されたスタンプもその時に捺してもらったものだけというものでした。
上司から「来週出張に行って来い」といわれた時のうれしさ。初めて仕事で海外に行く。これで国際派ビジネスマンになれると勢い込んで、「ハイ!!」といったものです。
出張先は台湾。世界最強といわれる日本のパスポートを持っているとこの国はビザなしで渡航が許されます。ただひとつの条件を除いて。
当時台湾へは、羽田から中華航空(チャイナエアライン)が出ていました。
午後の便に乗るべく、私と同僚の2人が、意気揚々と会社を出て空港に向かい、ワクワクドキドキとしながらも、搭乗券を受け取るべくパスポートとチケットを空港カウンターに出すと、なぜかカウンターのきれいなお姉さんが私を呼んだんです。
そしてそのきれいなお顔にはまったく似つかわしくない、衝撃の一言を私に突きつけました。
「お客様のパスポートは有効期間が残り3ヶ月です。」
そんなことは百も承知の私。「はあ?」というと、なんとかの国では、ビザが要らない代わりに、パスポートの有効期間が6ヶ月以上ないとダメだというのです。
それでも何とか食い下がる私。「何とかする方法はありませんか?」
「ビザがあれば大丈夫です。」
ではビザを今から取ってきます。
そんなこと言っても、羽田から領事館に行くだけでも時間がないのに、「お宅の国に行きたいんでビザください。」といって「ハイそうですか」とビザをくれるはずもなく、あえなく断念。
こんなどじをしでかした私に対して、その後末永く付いた称号は
「ウルトラクイズのように 海外旅行の支度して、空港で追い返された男」というものでした。
トホホ。
しかしこのまぼろしの出張ではもうひとつの悲劇が待っていた。
この出張のミッションのひとつに、「台湾から仕入れた不具合品を返品して、新しいものに交換してもらう」というものがあった。
単に国際宅急便で送ると費用がかかるので、せっかく行くなら、ハンドキャリーで持って行けということだったのだが。
ということで、今回海外出張用に新調したトランクの中身のほとんどはこの返品物。残りのわずかなスペースに私のお着替え様ご一行が挟まっていたのだが、このミッションまでも断念するわけには行かない。
そこで空港で入手した紙袋にお着替え様ご一行はお引越し。そして私と一緒に負け組みとして、飛び立つ飛行機を手を振って見守ることに。
唯一新調したトランク様だけが、中身の不具合品を抱えたまま、同僚とともにかの地へと飛び立って行ったのだ。
かの地に着いた同僚はもちろんターンテーブル(飛行機に預けた荷物が出てくるところ)の前で、自分のトランクと私のトランクを待ち構えていたのだが、どちらもまったく出てくる気配なし。
一番最後になっても出てこない。すると空港職員が手招きしている。
のこのことそちらについて行くと、なぜか個室に2個のトランクが。
かの寛大な島では、当時ビジネスだというと税関で手荷物を見られることはまず無いといっていいのだが、さすがにトランク2個は不審がられたようだ。
中身を空けて、
「この国で買ったものが不具合だったから、交換してもらうために持ってきた。」
というようなことを、必死で説明(本人曰く英語で言ったらしい)するも
「こんなものが台湾で作れるはずがない。お前隠してこれを持ち込もうとしたな!!」
と職員。
「ここに Made in Taiwanって書いてあるだろう。」
といっても信じてもらえず、明らかに密輸団の不審者としての尋問が2時間も続いたそうだ。
同僚は、このまま言葉も通じない国でもっと寂しい個室に拘留されるのでは と顔が引きつっていたそうです。
簡単に海外に行ける時代ですが
海外に行く時には、いくら最強のパスポートを持っていても、
守らなければならないルールがあるようです。
お気をつけて ・・・・。
2004年11月の出来事(入社2ヶ月目)
前回(2004年10月のできごと)は、入社1ヶ月間のことをダラダラと書いたが、今回は2ヶ月目。
この頃はとにかく、慣れない会社での初めての予算ということで、とにかくバタバタとあわただしい毎日を送っていた。
1ヶ月間で翌年の予算と組織体制、方針のようなものをとりあえずまとめてもう一度本社に乗り込んだのが11月1日。
そこで、アジア担当執行役員と先ずは内容の再確認。
現在の組織をスクラップ&ビルドで再構築するところまではよかったが、具体的にどの顧客にどんな方法でという段になると、まだまだ弱い部分があるという指摘は受けたものの、11月3日の社長プレゼンに向け、調整内容をまたまた英語も資料に作り直し、トークのために、読めない単語にふりがなを振りながら徹夜の資料修正が入る。
3日のプレゼンでは、社長、執行役員、私の3人がテーブルに着き説明が始まった。
ところどころ質問はあるものの概ね順調に進んだかに見えた説明も、終盤で社長からの「私のお勧めは・・・・」という、その後ずっと悩ませ続けられる一言で、もう一度説明をしなければならない羽目に陥る。
余談ではあるが、この「私のお勧めは・・・」で始まる話というのは、間に入って通訳してくれる執行役員の言葉なのですが、この言葉に何度悩まされたことか!?
日本語で「お勧めは・・・です」という話をされると、「いいことを教えてあげよう」程度の内容だと思っていた私は、「お勧めなのだから、そうしたほうが良いかもしれないけれど、別に強制力はないよな」と勝手に思っていたのだが、どうもこのお勧めというのは、こうしなさいという指示だったのだということに気がついたのは、このときから2年以上経つまで分からなかった。
この誤認識が、現在の私の大きな問題なんだということに、ごく最近になって気がついた。
2日後の再プレゼンでも社長を完全に納得させることはできなかったものの、まあ勧め方は大体良いんじゃない。日本の一番の問題はコミニュケーションにある。とにかく本社との設計者とよく話をしてね。あとは数字もう少し見直してよ。ということで、この月1回目の本社訪問が無事終わった。
実はこの月は社員旅行があり、その行き先というのが、本社のあるこの国。そして今回は家族の旅費も会社もちでという甘いお誘いに、帰国から2週間後に再びこの地を訪れることになる。
そしてこの国には10年来それこそ何度も仕事では来ているが、このとき初めて、観光なるものを体験し、本当の意味での歴史や文化に触れることになる。
さらにさらになんと月末には今度は、世界中の支社のマネージャーが集まるマネージャー会議(この会議このときが最初で最後の会議となるのだが)が開かれるということで、もう一度この国に訪れることになる。
海外出張は何度も経験しているが、まさか月に3回も行くとは。
ということで移動ばかりしている月でした。
次回ビックリした ワールドワイド・マネージャー会議編を書いてみたいと思います。
ところで、今回の振り返りを行うに当たり、パスポートの整理をしてみた。
一番初めに仕事でパスポートを使ったのが1996年。
パスポートの出国印を数えてみると、
1996年 1個
1997年 3個
1998年 4個
1999年 2個
2000年 3個
2001年 6個
2002年 4個(うち家族旅行×1)
2003年 2個
2004年 8個(うち社員旅行×1、家族旅行×1)
2005年 8個
2006年 8個(うち社員旅行×1、家族旅行×1)
2007年 1個
ということで、12年で50回の国外逃亡を図っているのだが、帰国印から逃亡日数を割り出してみると、1泊2日、2泊3日がほとんどということで、本人にとってはちっとも楽しくない。しかも50回の旅先は、なんと5ヶ国。9割以上が1ヶ所集中ということで、もはやパスポートを持っていく大阪や名古屋の宿泊出張となんら変わりない状態。
う~ん。これでは、国際派ビジネスマンとはどうも云い難いゾ。
プロフィール画像変更しちゃいました
あし@ から来ていただいている皆さん。
画像変更してしまいました。
同一性が確保できなくて申し訳ありません。
もう春なので、雪の中の息子の画像から、チョットとぼけた末娘のCocoの画像に変更させていただきました。
