去る6月14日
義兄が長い闘病の末亡くなった。
享年47歳という若さであった。
残された義父と私の妻である妹の願いにより、葬儀は近しい人だけの質素なものにしたいと、ほとんど人に知らせることなく執り行うこととなった。
生涯独身を貫いた義兄は、それだけに友達、趣味、仕事といったものを大切にしていたが、闘病が長引いたことから、今年の初めには会社を辞め、また友達と会うことも今年に入ってからはほとんどなかった。
葬儀の連絡もほんの数人の近しい友人や親戚のみにしたのみだった。
しかし、生前の義兄を象徴するように、最後にお世話になった会社だけではなく、10年以上も前に務めていた会社の同僚の方々が、はるか遠方から駆けつけ、友人に至っては、数十人の方々に、通夜だけではなく、平日に行われた告別式にも来ていただいた。
棺に花を手向け最後のお別れをする際には、義兄の胸に手を置き、顔をじっと見つめ、長いこと何かを語らい、まるで早く起きろよというように胸に置いた手にギュッ、ギュッと力をこめていた姿を見て、本当にその友人の方々と仲がよかったんだ、そして惜しまれて去っていくのだということを改めて感じた。
通夜の晩、棺の脇で夜半過ぎまで一人で飲みながらふと思ったのは、もし私が今この世を去ることがあるとしたら、こんなにたくさんの友人に囲まれて、見送りをされるだろうかということであった。
学生時代からの親しい友人のうち、今でも親交のあるのは数人だけ。
これまでに勤めてきた会社の仲間にも、最近は年賀状すら送らない。
それなのに、何かあったときだけ集まってほしいなんていう虫のいいことを考えてもそんなことはないのだ。
それに引き換え義兄は、実に細やかに時候の挨拶を欠かさず、何かあれば自分にできることはないかと親身に相談に乗る、まさに人徳のある人だったのだ。
