2004年夏~秋 の出来事

今の会社に入社したのは2004年10月。
それまで勤めていた会社が商社で、10年ほど前から現在の会社との取引関係があった。
実際には、前の会社では海外の本社との直接取引をしていたため、日本支社との直接の関係はなかったが、そこで働く人についてはある程度の知識はあった。
日本支社の統括マネージャーを長いこと探しており、何度かお誘いを受けたことがあったが、そのままにしていた。
8月に本社のアジア担当の執行役員が日本にいるということで、一緒に食事をした際に話が進み、引き受けたのが入社のきっかけである。
もちろんただ誘われたからという理由で動いたわけではなく、商社にいるとどうしても「メーカーの作ったものを売る。」ということになり、顧客が本当に欲しいものと提供できるものがズレているということが出てくる。その点現在の会社は、もちろんカタログに載るような標準品も数多くもっているが、一番の特徴がOEM/ODMによる顧客仕様に合わせた製品の開発ということがあり、この辺が大きな魅力となり引き受けることにした。
始めのサプライズは、9月下旬。
前職を9月末に退社する意向を表明し、大量に余った有給休暇の一部を消化させていただくことになった。実はこのときに、採用は決まりだが、本社社長と一度話をして欲しい。旅費は持ってあげるから。ということで、面接以外は3泊4日の観光気分で本社への渡航を行ったのだ。
空港で搭乗手続きをしていると、見かけたことのある顔が。日本支社の営業マネージャー2名がちょうど同じ時期に本社に行くということで、同じ飛行機に乗り合わせることになった。もちろんお互いに、今後一緒に働くことになることは承知していたので、軽い挨拶とともに、機上の人になったのだが。
翌日本社を訪ねると、早速 件の執行役員が出迎えてくれた。そして連れて行かれたのは会議室。ここで社長とごく簡単な面談後、社長から「あさってを楽しみにしているから」という謎の一言。
何のことかと 頭の中に???が残りながらも、このあとどこに行こうかななどと勝手に観光モードに入ろうとする私の前に、昨日の営業マネージャー2名ほか日本関係の見慣れた本社スタッフも含め、6~7名が会議室に入ってきた。
せっかくなのでここで挨拶をするのかななどと、勝手に思っていたが、実はここから2005年度の日本支社の予算編成会議を行うという。(外資のこの会社は1月が年度初めになるため、3ヶ月前から予算編成がスタートすることは、後で知った事実だが)
そしてこの編成会議に3日間参加して、来年の抱負とともに予算プレゼンを社長の前でやるのが、私の役目だというのだ!!
これにはさすがに驚いた。そもそも詳しいビジネスの状況や、予算編成方針もよくわからない。日本支社のスタッフや問題点なども分からない中で、いきなり予算作れはないだろう。
しかしこうなると、もはや自由に身動きの取れない海外で、しかもこれからお世話になる会社だと思えば、やるしかない。
午後から翌日午前までは、現状認識のため、日本の営業マネージャー、本社の日本担当スタッフからヒアリング。そして例年の予算編成作業方法を聞きだすのが精一杯。
楽しみにしていた夜遊びも、なんと会議室でのカップラーメンをすすっての会議時間に化けてしまった。
とりあえず今回の予算プレゼンは、私の挨拶を兼ねた作業の取っ掛かりの部分で、実際にはまだ3ヶ月間あるということもあり、2日目午後から数字を作り出す。
これはもうほとんど、日本から来たマネージャーにお任せしてしまったが、発表は私ということで、とにかく内容を必死に把握するのが精一杯。
その晩は、なんとかみんなで食事にだかけられる時間までに作業を追えることができたのだが。
しかしホテルに戻ってからは、発表資料をなれない英語に置き換えて、発表原稿を用意してと、ほとんど徹夜に近い状況となってしまった。
翌日夕方の飛行機で帰国の計画になっていた私は、朝一番で社長の下へ。
そして、みんなが作ってくれた内容をしどろもどろになりながらも発表。しかし社長からは、これまでとあまり変わり栄えしないね。もっと大胆にやって欲しい。とコメントが。
そんなこと云われても、実質2日でなにをやれというのか!? とは口に出さなかったけれど・・・。
しかも明日また話を聞きたいなんて云っている。
飛行機が4時間後には出ることを説明し、なんとか持ち帰りにしてもらったのは云うまでもない。
実はこの年日本支社は2年連続の前年割れ、しかもこの年はかなり大きな落ち込みが見込まれるという厳しい年だったので、社長以下の期待感も相当なものだったのだとは、後で知った事実だった。
なんとか予定通り帰国できたのだが、出かける前に立てていた観光は一切なし。その後も当時買ったガイドブックが生かされることはなかったのだが。
よくよく考えてみると、旅費宿泊費+食事代をもってもらっても、実際には仕事しているんだから、ちっとも儲かったとは思えない。
それどころか日当寄越せっていう感じでしたね。

“2004年夏~秋 の出来事” への5件の返信

  1. 大変だったんですね~!!
    私は元OEMをやっていたので、小さい個人客のノベルティーから、製品丸ごとまで…。既製品も扱うし何でも来い!な部署でしたが、OEMは楽しぃですょね。
    メーカーに居ると、商社の実際には商品が素通りする感覚が自分には微妙な気が…。
    元の会社は、商社に売られ、更に売り飛ばされて、なんちゃって外資になってから辞めました。
    Mark_fkさん、うちの会社売り飛ばした商社だったら笑いますょ☆

  2. 虎龍さん
    今思い返しいてみると、ホント初めからいろんなことがあったんですよね。この時間を使って少しづつ思い出して自分史を作ってみたいと思います。
    micoちさん
    その前の商社というのもチョット特殊な会社で、法人向けの通販会社でした。
    通販で会社は売り飛ばせないので、micoちさんにうらまれることはなさそうです。

  3. じゃ~遠慮なく…
    ○○忠商事ですけど、荒井忠じゃないですょ☆
    (オヤジギャグ以下!)
    間に海外の、会社を通販みたいに売り飛ばす、映画「PRETTY WOMAN」のリチャード・ギアみたいな仲介屋が居ましたけどね~(^_^A;

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